トラーバーホーフ
ローゼンハイムへ押し寄せる群衆
3万人にも及ぶ救済を求める人々が毎日、1949年9月、グルーニングの元へと集まりました。
ハイデルベルグでの調査 終了後、1949年8月、ブルーノ・グルーニングは南ドイツに移りました。グルーニングは自分をめぐって起きる騒ぎから逃れたかったので、ミュンヘン近郊のローゼンハイムの個人の農場へ引きこもリました。当初はグルーニングの滞在を秘密に出来ましたが、最初の新聞がバイエルン地方に彼がやって来ていることを報道した後はまさに群集が押しかけることになってしまいました。
ローゼンハイムのトラーバーホーフに毎日3万人に上る人々が押し寄せました。新聞、ラジオ、週刊ニュース等が報道しました。「グルーニング」とタイトルを付けた映画さえ製作され、グルーニングをめぐって起こる出来事が記録として残されました。
聖書の様な光景
新聞Zeitungsblitz 「ツァイトゥングスブリッツ」は9月第2週の特別号として報道しました、「その間に一万人以上の人々が集まりました。彼らは焼け付くような暑さの中、グルーニングがバルコニーに現れ、大衆に話しかけ、治癒力の流れを送る、その瞬間を既に何時間も待ち続けていました。人々は存分にグルーニングの治癒力の流れを享受しようと、近くにひしめき合って立っていました。車椅子や肘掛け椅子、その周りに立っている人たちには、すでにその力の効果が現れ始めていました。半分目の見えなかった人が再び見え始め、今まで障害者だった人が再び立ち上がり、体の不自由な人たちは自分たちの強ばった四肢を動かしました。何百人もの人々が病んでいた部分に、強い痛み、鈍い痛み、疼痛、むずむずする、表現し難い体の軽さを感じたこと、また、突然消えてしまった頭痛などについて報告しました。
この聖書の様な光景は、トラーバーホーフだけで起こったのではありませんでした。グルーニングは、彼が現れるいたるところで、嵐のような速さで数え切れない病人たちに取り囲まれました。アニー・ヘーネは彼女の著書、Geistheiler heute 「スピリチュアルヒーラーの今」の中にグルーニングに関する状況を書いています。「グルーニングが自分の到着を告げるだけで、もう既に巡礼が始まる。ジャーナリスト、ルドルフ・シュピッツが1949年9月にミュンヘンのグルーニングのところに行った時に見た光景はその典型的なものだった。
「19時、何千人もの人が、ゾンネ通りに立っていた。22時半、群集はまだそこに立っていた。5年間の対戦で多くのことを私は体験しましたが、ブルーノ・グルーニングの前に座り、悲惨と苦しみの人々のぞっとするような行進を体験したこの4時間ほど衝撃を受けたことはありませんでした。てんかん患者、盲人、杖をついた麻痺患者たちはグルーニングのところに押し寄せた。母親たちは自分の麻痺している子供たちをグルーニングに差し出した。失神者が続出し、悲鳴が上がり、助けを求める請願者の声、願い、願望、深いため息があった。」
国家機関は好意的である事を表明
ブルーノ・グルーニングが当時いた、ローゼンハイム近郊のトラーバーホーフで、ミュンヘンのもう一人のジャーナリスト、クルト・トランプラー博士は担架に乗った病人たち、麻薬患者などの大群衆を観察していました。トランプラー博士は、新聞Münchner Allgemeine 「ミュンヒェナー・アルゲマイネ」のレポーターとして来ていました。- 彼は自分が見聞きしたことだけを記録する冷静なジャーナリストでした。「今、バルコニーからグルーニングではない声が聞こえます。窓際へと人々が急いでいます。ミュンヘン警察署長、ピッツェル氏が群集に向かって話しをしています。彼は自分を長年苦しめていた坐骨神経痛の痛みが、グルーニングがいる間に和らいだと報告しています。確かにピッツェルは大げさにものをイメージするような男ではないが、自分自身に起こったことをはっきり証言できる男であった。彼は今、公然とグルーニングを支持している。またCSU党国会議員、ハーゲン氏も続いて同様の声明を発表した。」
バイエルンの政治機関もブルーノ・グルーニングに対して好意的であった。日刊新聞Münchner Merkur 「ミュンヒェナー・メルクーア」は1949年9月7日付けで、「好感のもてるグルーニング」というタイトルで報道しました。「バイエルン州首相、エアハルト博士は月曜日の報道機関会議で、ブルーノ・グルーニングの様な「特殊な出来事」は、法律の条項により挫折させるべきではない。と言明しました。彼の見解によれば、バイエルンではグルーニングの活動許可への大きな障害はないということでした。
バイエルンの内務省は編集会議の後、ブルーノ・グルーニングの治癒行為に関する一時的再調査の結果、彼の治癒行為は自主的な愛の行為と見なすことができ、この範囲内では民間治療師法に基づく許可を必要としない。と公表しました。
治癒に関する医学的鑑定書への中傷の後
トラーバーホーフでは、グルーニングをめぐる大騒動が起こっていました。グルーニングの能力を利用 して利益を得たい、多くの商売人が現れました。彼らはグルーニングの名声を傷つけ、これが政治機関から彼を引き離す結果となってしまいました。事態が耐え難いものになると、グルーニングはバイエルンの山の中に引きこもりました。グルーニングは療養所設立に関するいくつかの提案をじっくりと調べたかったのです。彼の目的は、救いを求める人々が正道に乗って治癒を獲得できる施設の設立でした、そして医師たちが、ハイデルベルグの実例に沿って、事前、事後の検査を行い、生じた治癒を文書で証明することでした。
「グルーニングの現象」と科学
鑑定結果を約束されたハイデルベルグでの医学的なテスト
この ヘルフォルド時代 、雑誌、
Revue 「レビュー」の医学分野専門の人々はグルーニングの治癒成功例の調査を開始しました。教授ならびに博士であるH.G.フィッシャー氏は特派員たちとともにヘアフォルドへ出かけました。現地で教授は治癒された人々に話しを聞き、グルーニングの"方法"が実際に成功したことに驚きをもって認めざるを得ませんでした。その結果、雑誌Revue 「レビュー」は、「グルーニングの現象」の科学的解明のために貢献することを決めました。ハイデルベルグ大学附属病院で「奇跡のドクター」の「治癒方法」が調査されることになりました。
ブルーノ・グルーニングはフィッシャー教授の提案を受け入れました、なぜならフィッシャー教授は事が上手くいくように専門家として前向きの評価を彼に約束したからでした。グルーニングは自由な活動への道が見つけられると期待しました。
医者たちの目の前で多くの治癒 - ブルーノ・グルーニングはペテン師ではない
7月27日、調査は始始まりました。グルーニングの能力を証明するための被験者は、8万件以上の請願の手紙をグルーニングに宛てて書いた病人の中から選ばれた人々でした。それにハイデルベルグのルドルフ・クレール病院の数人の患者が追加されました。全員が事前に診察を受け、正確な診断が下されました。その後、全員がグルーニングの処へ通されました。グルーニングは彼らに「自分の方法」を使いました。その場には常に数人の医者が同席しました。医者たちはどのように病気が自然発生的に消えたかの証人になりました。病院で行われた事後の検査で治癒が確認されました。ベヒテレフ・メンデル反射のような不治の病気でさえも治癒していました。
雑誌Revue 「レビュー」に掲載された事前鑑定の中で医師のフィッシャー教授は、ブルーノ・グルーニングはペテン師などではなく、生来才能に恵まれた、魂を癒す医者である、と明らかに断言した。これをもってフィッシャー博士は自分の観点から、「グルーニングの現象」を解明しようとしたがグルーニングにとっては正当なことではなかった。
商売人を拒んだグルーニング
最終的な鑑定書が全結果の分析後に作成されることになりました。
ブルーノ・グルーニングに対してはこれからの彼の活動への道を最終的に自由にすることが約束されました。その間にフィッシャー教授やフォン・ヴァイゼッカー氏(これらの後援者たちにより計画、企画された)はブルーノ・グルーニングに次のような提案をしました。教授らはグルーニングが医者と一緒に活動出来るような治療センターの設立を望みました。しかしながら運営や患者の選択は自分たちの権限として確保しました。
この件に関してブルーノ・グルーニングは、「F教授より要求された財政的条件などは私にとっては受け入れがたい義務付けでした。当然これに関して、またこの事業に融資したいという人々とも多くの話し合いが行われました。私はF教授からの提案に同意できず、受け入れませんでした。なぜならば、第一に、私は1ペニヒも自由になる身ではないので、彼の要求する財政的義務を負うことはできません。第二に、全ての計画が金儲けに繋がるとは考えてもみませんでした。以上の理由から、私にとっては全てが不可能な要求でした。その上、私は自分の使命として与えられた事だけを行いたかったのです。救いを求める人々を救う事、そのために医者や心理療法師たちに私自身を自由に使ってもらう事が目的で、この全てにおいて金儲けをする気はありませんでした。」
鑑定書の約束不履行と法律との強まる衝突
ブルーノ・グルーニングの拒絶的態度は教授たちからグルーニングへの関心を失わせました。約束された鑑定書は一度として作成されることはありませんでした。グルーニングに自由な活動を可能にさせる代わりに彼らはグルーニングの活動の道に新たなる石を置いてしまいました。検査の間、彼の「治癒の方法」は「治療」、「患者」などの表現を用いて証明されたので、医学療法としてみなされてしまいました。このことから民間治療師法と対立が起こることは、あらかじめ予想されました。
1949 - 世間の注目の的
ヘルフォルドにおけるブルーノ・グルーニングの活動
何千もの病人と救済を求める人々がグルーニングを取り囲みました
9歳のディーター・フュルスマンはかなり長い間ベッドに寝たきりででした。進行性筋萎縮症に苦しめられ、どの医者も大学の教授たちも彼を助けることは出来ませんでした。ブルーノ・グルーニングがこの少年のことを引き受けると、少年は再び歩くことが出来るようになりました。技術者である父親のフュルスマン氏は息子の思いがけない治癒に大変感銘を受け、客であるグルーニングに、自分の家にとどまってくれる様に頼みました。ヒュルスマン氏はこの奇跡を起こす男によって助けられるであろう、多くの病人たちをもっと呼びたいと思いました。
ブルーノ・グルーニングはその申し出を受け入れました。日ごとに救いを求める人々が増えてゆきました。そしてグルーニングをめぐって起こる不思議な出来事を知る人々が次第に多くなってゆきました。しかし、それは長くは続きませんでした。グルーノ・グルーニングの名前が話題になり、新聞は、「奇跡のドクター」についての記事を掲載しました。英国でもブルーノ・グルーニングは話題の人となりました。何万もの人々がウィルヘルム広場にやって来てフュルスマン家を取り囲みました。
日刊新聞Münchner Merkur (ミュンヘナー・メルクーア)のマンフレッド・リュトゲンホルストは1949年6月24日付けで書いています、『私が午前10時半にヘアフォルドに到着した時、ヴィルヘルムスプラッツの小さな二階建ての家の前には、既に千人位の人々が立っていた。それは何とも言い難い悲惨な光景であった。数え切れない車椅子やその他、家族に運ばれて来た肢体不自由な人、目の見えない人、耳や口が不自由な人、脳や体に麻痺のある子供たちを連れている母親たち、小柄な老婦人や若者たちがひしめきあって呻いていた。100台近い車、トラック、バスが広場に停まっていた。全ての人々が遠方からやって来たのだった。
麻痺していた、胃潰瘍だった、目が見えなかった人々が、「グルーニングさんが私を見つめ、そして私は再び完全に健康になりました。」
マンフレッド・リュトゲンホルストが続けます、「あなたは治癒されると信じていますか?」と私が病人に尋ねると、彼らは首をたてに振った。ある人が、「あなたは昨日ここに来るべきだった。」と言った。「グルーニングさんはラインランド(ドイツ、ライン川西部地方)のフィールセンにいました。そしてここ中庭には五人の麻痺した人たちが立っていましたが、元気になって家に帰って行きました。遠隔治癒-この中庭があの人たちを健康にしました。」他の病人たちもこれについて証言した。
私は群集の中に分け入り彼らの驚くべき話を速記していった。これらの話は一冊の本にするのに十分であった。タバコに火を点けた時、そばにいた若い男が言った、「一本売ってください!」その男は軍服を着ていてロシアからの帰還兵のようだった。私がタバコをあげると、彼はタバコに火を点けながら有頂天になって言った。「見て!僕はまた自分で何でもできる!」と言いながら、指と一緒に右腕右足を動かした。「君もグルーニングによって治癒されたのですね?」と尋ねた。「はい、ロシアで自分は右半身が麻痺してしまった。グルーニングさんが自分に視線を向けたら、こうして再び自分はすっかり健康になりました、まだこのことを理解できません。」その若い男は幸せそうに自分の手足を振った。
私は、白髪の40歳位の女性の周りに集まっていたグループの方へ向かった。「もちろん」という言葉に続いてその女性が「グルーニングさんを通して治癒された。」といっているのを聞いた。「私にはひどい胃潰瘍があって、だんだん痩せてきて痛みでもう眠ることが出来なかったのです。12人で連れ立ってグルーニングさんの所にいました。{…}グルーニングさんは私を見ました。その時、私にはその胃潰瘍が地面の上に石のように落ちたように思えました。その時から、痛みがなくなりましたし、どんどん太り始めました。撮ってもらったレントゲン写真は疑い無く、胃潰瘍がなくなったことを証明していました。私はこのことを医者の調査委員会に任せましたが、医者たちは言うまでも無くびっくりしていました。」さらにその女性は続けた。「でも、それだけでは終わらなかったのです。先週この広場のここに目の見えない男性が立っていました。その人は数日間ずっと待っていました。私はたびたびここに来たので、彼が目についたのです。お気の毒に思って食事に誘ったのですが、「結構です。」と断られました。「グルーニングさんがやって来るその瞬間を逃したくない。」と言っていました。そして私が彼にロールパンを持って行って、私が誰かにあなたのことを駅まで連れて行ってもらえるようにしてあげる、と言うと、彼は「私は誰の助けも必要ありません、なぜなら自分一人で駅まで行けるようになります。」という答えが返ってきました。それから私は自分のこの目で彼が歩くのを見たのです。グルーニングさんがやってきました。そうしたら、その若い男性は叫び始めたのです、「また見えるようになった!」と。実際彼の目から包帯が消えていました。彼は私がどんなハンドバッグを持っているかを描写しました。更に彼は言いました、「あそこに車が走っている、そしてこれはナンバープレートだ。」彼は一人で駅へ行く道を見つけました。周りにいた全ての人たちが喜びに涙しました。
役所と医師会による治癒禁止
世の政治機関、特に保険機構もまた、この出来事に関心を寄せるまでにそう長くはかかりませんでした。調査委員会が発足し、ブルーノ・グルーニングは治癒禁止の命令を受けました。数人の有力な医師たちは、グルーニングの公然の敵でした。彼らはグルーニングの行いを阻止するために出来る限りの方法を用い、また彼の治癒能力を科学的に調査させることを要求しました。しかし、その治癒禁止令の裏にどんな意図が隠されていたのかは、その調査に参加していた医師の次の発言で明らかになっています、「グルーニング氏は彼が望んでいることを証明できるが、治癒活動の許可は得られないであろう。」「グルーニングに関わることは医師たちの、プロとしての名誉を傷つける事になる。」6月末、グルーニングは最終的にヘアフォルドを去らなければなりませんでした。治癒の許可を得るためのあらゆる努力は失敗に終わりました。
成長過程と人生における大きな節目
その後の活動の為の準備
押し付けられ、打ち切られた見習い期間
小学校を5年生まで通った後、ブルーノ・グルーニングは商人としての見習いを始めました。しかし2年半後に父親の、たっての願いで見習いを中断しなくてはなりませんでした。石工職人頭の父親は、息子も同じ建築関係の仕事の見習いをすることを望んだのでした。父親は彼を大工に育てようとしました、しかしこれも修了するにはいたりませんでした。戦後の経済情勢の混乱が障害となり、見習い期間修了の3ヶ月前に、働いていた会社が仕事不足で閉鎖されてしまったからです。その後、彼は様々な仕事につきました。エゴン・アルトーア・シュミットはこの時代について書いています。
「彼は手がけた全ての仕事において、成功しました。」
「このことについて、私はいろいろな同僚から、彼が関与したどの仕事も、例えば彼が時計やラジオを修理したときや、機械工として働いた時の不思議な出来事を聞きました。技術的な仕事は彼の得意とするものでした。彼はまた肉体的に荒々しい重労働の仕事をすることもいといいいいませんでした。港湾労働者としても彼は、他の仕事仲間と同じように働きました。グルーニングはこのことを隠し立てすることはしませんでした。彼が、また上に上っていくために、彼を底辺に導いた道は、やはりこの神の道に属するものでした。古代の中国に、「一度も沼地を通ったことの無い者は、聖者にはなれない!」という諺があります。多くの昔の同僚た
ちの証明書があります、そのうちの一つが最近、 私の手に入りました。それには無条件かつ単純明快に、この証明をした人は、「1年間彼と一緒に仕事をしてみて、今までに一緒に仕事をした人の中で極めて、最高かつ立派な仕事仲間であったという良い思い出がある」と書かれてありました。
結婚と家族関係における運命による打撃
21歳でグルーニングは結婚しました。しかし彼の妻は彼に対して理解がありませんでした。彼女は彼を庶民的な家庭生活に縛ろうとし、治癒に関する活動を“酔狂”なこととして拒絶しました。1931年と1939年に生まれた2人の息子、ハラルドとギュンターは2人とも9歳の時になくなりました。数知れない人々がブルーノ・グルーニングによって治癒を体験したにも関わらず、妻のゲルトルート・グルーニングは夫の治癒力を信じませんでした。彼女は子供たちを夫にではなく、医者に任せました。しかし医療は子供たちを助けることができませんでした。2人の子供たち、ハラルドは1940年にダンチックで、ギュンターは1949年ディレンブルクの病院で亡くなりました。ブルーノ・グルーニングにとっては辛い、運命の打撃でした。何年か後になってさえ、彼は息子たちのことを話したときには、まだ涙をこぼしました。
これが世界大戦までに彼に与えられた、後の活動のためへの準備期間でした。すべての階層の人々を理解し、その人々の困窮状態を理解するために、彼はつらい体験をしなくてはなりませんでした、
人を撃つ代わりに助ける - 軍隊の前線そして戦争捕虜になる
1943年第二次世界大戦に兵として彼の上司達と共に召集されました。そこで摩擦がありました。人々を撃つことを拒否したことで、軍法会議にかけられそうになりました。しかし結局は前線に送られました。彼は負傷し、ロシア軍の捕虜となりました。1945年末に故郷を追われ、西ドイツにやって来きました。
戦時中のブルーノ・グルーニングの態度は彼の人々を助けたいという願いで一貫していました。前線でさえ彼は、あらゆる場面で、彼の同僚や一般市民のために全力を尽くしました。
あるロシアの村でグルーニングは、餓死の危機に瀕している人々に軍隊の食糧倉庫に入ることができるようにしました。捕虜になっている間に彼は、同僚たちの為に、より良い服や、食事、宿舎を勝ち取りました。飢餓水腫にかかっていた多数の人々の治癒にも貢献しました。戦争のもたらす恐怖の中でも、彼は一人も殺しませんでした、かわりに多くの人々を助けました。
夫婦の別れ、そして全ての人の為に
1945年12月にグルーニングは捕虜収容所から釈放されました、そしてヘッセン州のディレンブルグに生活の根を下ろし、家族を呼び寄せました。しかし2人目の息子もなくなった後、妻はあらゆる彼の助けの行いを禁じようとしたので、彼は彼女と別れました。彼は、自分にある治癒力をすべての人々に与えることを自分の義務と感じていました。彼は、「私は一人の人間に属するのではなく、全ての人類に属しています。」と言いました。
1949年の初めに彼の進む道は、ルール地方に向けられました。何人かの治癒された人々の報告により、人々はだんだんとブルーノ・グルーニングのことを知るようになりました。彼は自分を必要とし、彼に助けを求める病人のいる家から家へと移り歩きました、こうして1949年3月、ヘアフォルトの技師から息子のところに来て欲しいという招待を受けるまで、このような活動をしていました。
幼年時代と青少年時代
殴られ、嘲られ、理解されず、受け入れられず - この子供は他の子供とは違いました。
周囲の無常さに、彼は自然へと逃避しました「ここで私は神を体験しました。」
ブルーノ・グルーニングは1906年5月30日に、ダンチック・オリバーで、父アウグストと母マルガレーテの7人の兄弟姉妹の4番目の子供として生まれました。両親は早くからすでに、この息子が普通でないことに気が付いていました。例えば、本来は臆病なウサギや鹿が、彼の所へ突如やって来て、怖がる様子も無く、彼に撫でてもらいました。
ブルーノ・グルーニングは成長するに従い、ますます周りから、変わり者と見なされました。グルーニングが語るには、家では青あざができる程に殴られました、殴られる、と彼は言いましたが、彼の肉体に痛みはありませんでした、しかし彼はこれを理解できませんでした。
この辛い環境に嫌気を起こし、幼いブルーノは自然の中に逃げ込みました、彼はある種の人間たちよりも、動物や木々、潅木、などに、より魅力を感じていました。時々は、何時間も近くの森の中に身を隠していました。
「ここで私は神を体験しました。一つ一つの藪の中に、木々の中に、一匹毎の動物の中に、石ころの中にさえも。いたるところに私は何時間も -時間の感覚がありませんでした- 立って考え込んでいました、私の内なる人生が果てしなく広がっていくようでした。」
同年代の子供たちの殴り合いに、決して加わる事はしませでした。その事が理由で、彼はたびたび悪口を言われる対象となり、彼が他の子供と違う事により、殴られたり、罰を受けたりしました。
人間や動物に生じた治癒に喜ぶ
時に沿って、ブルーノ・グルーニングの本質を観察することにより、後に彼が公のスポットライトを浴びる事がわかります。彼が居合わせると、人間や動物が健康になりました。特に第一次世界大戦中、彼はたびたび野戦病院を訪れました。すると人々は彼に会いたがりました。多くの傷病兵たちは彼と一緒にいると、気分がよくなったり、健康になったりしました。加えて病人たちは、彼の母親に幼いブルーノを連れてくるように頼みました。家族や知り合いの間では、この少年の治癒能力は喜んで受け入れられていました。
自活への努力
ブルーノ・グルーニングは自分の履歴の中に書いています、「幼少のころから私の居るところで病人たちが苦痛から解放されました、そして怒ったり、けんかをしている人、子供にしろ、大人にしろ、彼らは私の二つ三つの言葉により、全く平穏になりました。私は子供の時、普通は人前に出てこない、又は獰猛といわれる動物たちが私の前ではおとなしく、人懐っこくなることに気が付きました。私の家族との関係は、これらが元で張り詰めていました。私は間もなくして、「理解してもらえない」この家族環境から脱出する努力をしました。」
ブルーノ・グルーニング(1906-1959)
世間の論争の中で、類い稀な人
1949年ブルーノ・グルーニングの名前は一夜にしてドイツで注目の的となりました。新聞雑誌、ラジオ、週間ニュ-ス映画にも報道されました。何ヶ月にも亘り、「奇跡のドクタ-」と呼ばれるようになった彼をめぐって起こる出来事は、戦後の新しいドイツに息つく暇をあたえませんでした。映画が作られ、科学的調査委員会が召集され、そして州政府機関においては最高の審査会までが、ブルーノ・グルーニングについて取り組みました。ノルトライン・ヴェストファ-レン州の社会大臣は、民間治療師法違反として、ブルーノ・グルーニングを追及しました。それに反して、バイエルン州の州首相は、グルーニングの様な「異例の現象」を法律により禁止することは許されないと言明しました。バイエルン州の内務省は、彼の活動を「自由な愛の活動」と見なしました。
全ての階層の住民は激しく対立しながら、ブルーノ・グルーニングの事件について討論しました。人々の感情の波がたかまりました。聖職者、医者、ジャ-ナリスト、法律家、政治家、そして心理学者、全てがブル-ノ・グル-ニングについて議論しました。彼の奇跡の治癒は、ある人にとっては天からの賜物であり、その他の人々にとってはインチキ療法でした。しかし治癒の事実は医学的検査により証明されました。
ひとりの普通の労働者に世界中の注目が集まる
ブルーノ・グルーニングは、1906年にダンチックに生まれました、そして戦後難民として西ドイツに亡命した、普通の労働者でした。彼は大工、工場-港湾労働者、など様々な職につきました。彼は突然公衆の関心の的となりました。彼の奇跡の治癒のニュースは世界中に広まりました。あらゆる国から病人、嘆願の手紙や申し出が来ました。何万人もの救いを求める人々が彼の所にやってきました。医学の革命が始まりました。
禁止令によるがんじがらめの中、訴訟手続きにより利益を得た協力者達
しかし反対勢力もありました。彼らはブルーノ・グルーニングの活動を阻止しようと、あらゆる手段をもって動きだしました。訴訟になりました。彼の活動を正規の軌道に乗せようとした全ての努力は失敗に終わりました。その理由の一つは社会的勢力の反抗であり、もう一つは彼の協力者たちの無力又は儲けることへの欲望でした。1959年にブル-ノ・グル-ニングがパリで亡くなった時、彼に対する最後の訴訟が進行中でした。この訴訟の手続きは中止され、最後の審判は下りませんでした。しかし、多くの疑問が残りました。
神は最高の医者です
不治の病は存在しない
信頼して信じる - これが治癒への前提条件
本当に治癒できるのは神だけであり、人間ではありません。神が最高の医者です。神にとって不治はなく、不可能もありません。ブルーノ・グルーニングは繰り返し言いました、「信頼しなさい、信じなさい、神の力が救い、治癒して下さいます。」
グルーニングが救いを求める人々に期待しているたったひとつの事は、彼に大きな信頼を寄せる事、そして神を信じる事、神の治癒力、そして自分の健康回復を信じる用意のある事です。人間がこの前提条件を満たすと、ブルーノ・グルーニングは助ける事ができます。ある人の信心が弱くても、彼はその人に援助を申し出ています、「あなたが今、まだ信じる事ができないのであれば、あなたが本当に信じるまで、私が代わって信じましょう。今、あなたがまだお願いできず、祈る事ができないのであれば、これも私が代わって行いましょう。」
神は罰を与える裁判官ではありません
こうしてブルーノ・グルーニングを通して、健康を信じる事を取り入れた人に、神の救いが与えられます。全員が救われるべきです。人間は神が罰を与える裁判官ではなく、優しい父であることを体験すべきです。全ての人間は神の子です、神は私たち人間にとって、友であり、救い主です。
ブルーノ・グルーニングを通して、人間は神の奇跡を再び体験できます、神は全ての人間にとって最高の医者であり救済者です。神において不可能な事はひとつもありません。ブルーノ・グルーニングは述べています、「多くの説明できない事がありますが、起こらない事は何もありません。」
人間は精神です
体は精神と霊魂の地上における器です
ブルーノ・グルーニングは聴衆に人間の真の本質を説明しました。「あなたは誰ですか?」と彼は尋ねました。聴衆の誰も、自分の名前を言うこと以外の答えを知りませんでした。しかしブルーノ・グルーニングはそれで満足しませんでした、「あなたはあなたの肉体ですか?」と彼は更に追求しました。沈黙する私たちに彼は、私たちはずっと昔から肉体ではなく霊魂であると説明しました。私たちの肉体は私たちがただ、この地上の人生を過ごすために、神から誕生の際に与えられたものであり、私たちが死ぬときには大地に戻すものであると。私たちの霊魂は、精神と肉体の間のつながりを作っていて、地上での善と悪の体験をあの世に持って行くのです。この霊魂が神の光の配達人で、人間が信心に心を開いた瞬間、神との関係を持つことを可能にしてくれます。しかし霊魂が不信心に閉じこもっていれば、神とのつながりは切り離されたままです。
ですから肉体は人間の本質的なものではなく、精神と霊魂の、この世を過ごすための器でしかありません。今日多くの人々が信じているように、肉体の死をもって全てが終わるのではなく、人生は続きます。それは肉体とは結びついていません。
人間は悪ではありません - ただ、自分の事をおろそかにすると、悪へと落ちて行きます
人間は霊魂です、肉体は神が地上の人生のために自由に使える道具として人間に与えてくださった贈り物です。本来人間に定められていることは、肉体を善いことに役立て、肉体を使って善い思考を行動に移す事です。しかし人間は自由意志を持っている為、肉体を、盗みや、殺人、破壊する事に悪用する可能性もあります。一人の人間の行いから、誰とつながりがあるのか、誰に仕えているのかを知ることができます。神に仕えているのか、悪魔に仕えているのか。これは、この様な人間が良い人間か、悪い人間かを意味しているbかりではありません。
「人間は神性であり、神性にとどまります。決して悪魔的ではなく、決して悪くはありません。ただ、彼が神から去り、自分をおろそかにすると、悪に取りつかれるだけです。悪が人を捕まえてしまうと、その人は悪に仕えなくてはなりません。悪を行うのは人間ではなく、悪なのです。悪に善なる事は期待できません!同様に、神には悪なる事も期待できません!」
「人間が弱すぎると、悪の虜になってしまいます。落ちてしまいます。すると彼は上に導かれているこの道を進む事はできません。その力に欠けています。彼は落ちてしまい、悪の手中に陥ります。すると悪の意のままになってしまいます。ここに救いの、助けの手が彼をそこから引き上げない限り、この素晴らしい時に落ちぶれてしまいます。そしてその人は悪に仕えなくてはならなくなります。」
それぞれの思考に作用がある
人間各自に与えられている義務は、その肉体を正常に保つ事です。しかし、全てのネガティブな思考、悪い言葉、そして悪事は肉体に悪い影響を与えます。つまり精神が神と繋がらず、ネガティブな力に献身するなら、肉体に病気を招く事になりかねません。
しかし魂が再び神の力の流入に心を開き、神とつ繋がるならば、肉体に健康が結果として現れるでしょう。この理由から、自分の精神的姿勢が決定的な重要性を持っています。治癒が起こります、と約束する事は決して許されていません。それは常に人間にかかっているからです、どのように善に対して心を開くか、そしてブルーノ・グルーニングの教えを受け入れるかに。体を治療することは、ただ現れた結果と闘っているだけで、原因を取り除くものではありません。これが出来るのは、「大回心」を実行する人間自身のみです。
思考は力です
ポジティブな思考は構築し、ネガティブな思考は破壊します
ブルーノ・グルーニングは聴衆に、自分たちの思考をテストしてみる様、そして善い思考だけを取り入れる事を度々要請しました。神と悪魔は、そのエネルギーの源泉だけではなく、思考の源泉でもあります。神と悪魔は絶え間なく私たちに思考を送信しています。神は善を、悪魔は悪を。人間は - ブルーノ・グルーニングは言っています - 自分で思考を作り出す事は出来ません、ただ思考を取り入れる能力があるだけなのです。
「どんな思考を人間が取り入れるかは大変大事な事です、何故なら思考は力だからです。人間が善を望むなら、神はその人を助けます、悪を望むなら、悪魔がその人を助けます。」
人間は意志も無く全てを行うのでは無く、頭に浮かぶ思考によります。どの思考を認めるか、認めないかはその人自身が決定しています。この選択を軽はずみにではなく、良心のもとに決めなくてはなりません。ひとつひとつの思考にはそれぞれの力が後ろ盾になっています。ポジティブな思考は築き上げ、ネガティブな思考は破壊します。うれしい便りは人を活気づけ、悲しい便りは人を落胆させます。思考は精神的な力です。思考の中には威力があります。このことを今日の人類は殆ど知りません。愛から生じた思考はその人に、他人を助けようとさせます。憎しみから生じた思考はその人に、他人を殺そうとさせます。「一つ一つの悪の思考に用心しなさい!」
「あなたが自分の中に取り込むものを、あなたは再び外へ出さずにはいられません」
「この事をあなたはもう今日までに意識したに違いありません、あなたがたった一つの小さな悪い思考を取り入れると、続けてどんどん悪い思考が入ってきて、その後、あなたはそれを悪い言葉で話してしまう事を何回も認識したでしょう。ということは、あなたが自分の中に取り入れる全てのものは、再び外に出さずにはいられないのです。」
「一つの悪い考えを取り入れただけで、あなたは悪の召使となります、あなたは本当にサタンの召使となります!これは言っておかなければならないことです!」
人は自分の自由意志で行います
しかし人間が意気消沈して、自信を失くす事で起こる不安、または抵抗できない強制的思考に対して、何ができるでしょう、どのように対抗できるのでしょうか?それは無の状態から突然現れ、襲い掛かってきます、そしてその人の心をとらえようとします。どうしたらよいのでしょう?
悪魔は人間をネガティブな思考で - 程度の差はあろうとも - 神の道から外し、迷わそうとします。悪魔は人間が怯える事、腹を立てる事、善を疑う事、神の法則に違反する事を望んでいます。これを達成する為、悪魔は人間に、人間がどうにもならない悪い思考と感情にもてあそばれているものと信じ込ませます。しかしこれは嘘偽りなのです。
神は人間を、自分自身で思考し、話し、そして自分の行動について決定できる様、お創りになられました。悪い思考が、その人の内なる目の前に現れると、彼は落ち着いて、しかし、はっきりとその思考を拒絶することができます。彼が砂の上でもしっかり立っていられるような人間であれば、悪は退散しなくてはなりません、そして悪は彼に対する権力を持つことはできません。人間は自分の自由意志で、自分の運命を決定しています。「人間は自分の意志通りに行動します。意志があれば、それに従った思考があります、思考は人間を行動に移します。」
先ずは健康になりたいという意志が必要です
ある簡単な例をとって、ブルーノ・グルーニングは、「どれほど大きな意味が思考にあるか」を示しました。家を建てる時、最初の意志、あるいは希望がきっかけとなります。引き続いて、どんな家を建てたいかという建築計画が作られるまでに、どんどん家に対する思考がはっきりとします。それまでは家はただ将来の家の持ち主の空想としてとどまっているだけです。本来の建築は、家が出来るまでの熟慮と準備を必要とする長い道のりの最後の一歩であるということです。
全く同じことが治癒にも言えます。先ず、最初に健康になりたいという意志がなければなりません、それから思考上での病気との別れが実行され、健康になるという信心が取り込まれなければなりません。その最後の一歩が、肉体に生じる治癒です。これはもちろん人間の所業ではありません、そうではなく、神のお恵みです。人間はこれを当然の事として得る事はできませんが、獲得する事ができます。
「善」と「悪」の対立
人はこの間に生きており、選択の権利がある
人間に自由意志によって決定する可能性があるとすると、質問がおこります。二者択一できるものとはなんでしょうか?これに対して、ブルーノ・グルーニングは答えています、「友のみなさん、人間が善と悪の間に生きている事を誤解したり、忘れたりしないで下さい。この中間に人間は生きています、ここに善、ここに悪、この間に人間は存在し、どちらにつくかを決定するのです。」
人間には選択権があります。その人は善を、又は悪を行うことができます。隣人が困っている時、その人は彼を助ける事もできるし、無視する事もできます、又は他人の困窮を自分に都合よく利用する事もできます。人間は自分の思うようにできます。人間は一生、常に - 意識的に、又は無意識的に - 善悪の道の分岐点に立たされています、人は善の道に、又は悪の道に進むかを決めなければなりません、運命の流れを決定するものは、たいていは毎日の出来事の中にあるのです。
例えば怒りから友達との約束を破った場合、上司への怒りから自分の職場を放棄する場合、又は間違った誇りから、二度とない申し出を断った場合はどうなのでしょう?何度、後になって悔やまれる、そして取り返しのつかない決定がなされた事でしょう。ほんの一瞬が後の人生の善し悪しを決めてしまいます。
構築と破壊
どうしてそうなるのでしょうか?「善」と「悪」の裏にはどんな意味があるのでしょうか?一生とは人間にはどうにもならない、目に見えない偶然の産物なのではないでしょうか?
善とは - ブルーノ・グルーニングは説明しています - 神から来るもの、悪は神の反対、悪魔から来るものです!悪は本当に存在します。悪は全ての善を、神性なるものを全滅させることを目的にしています。ブルーノ・グルーニングの言葉、「誰が、善を、神性なるものを破壊するのでしょうか?どこから病気はやって来るのか、この地上に育つ、すべての生物の病気は?あなたの好きなものを例に取ってみて下さい、ある果物を、又はある動物を、悪魔は常に、そして更に全てを破壊しようとしています。そして悪魔は人間をむしばむ事にまで成功しました。」
「この地上に存在している悪魔は、善と神性なるものを破壊する為なら、試みない事は何もありませんでした。」
「神の存在するところには愛があり、悪魔の存在するところには闘いがあります。」
精神世界においては、この両極が相対立しています。神は人生そのものであり、それを破壊させたいのが悪魔です。皆さんには天使の群れがついています。そして激しい戦いがあります。両方に強烈なエネルギーがあります。その本質をブルーノ・グルーニングは簡単な言葉で説明しました。「神の力は構築、悪の悪魔の力は破壊です。」
両方の力を人間は自分の中に取り入れる事ができ、その力を体にも、心にも作用させる事ができます。一方の力は人を強化し、築き上げ、他の力は弱化させ破壊します。ポジティブな力の中には健康があり、ネガティブな力の中には病気があります。
病気は神の罰ではありません、間違った思考と行いによる結果です
ブルーノ・グルーニングは、病気は悪から来るのであり - よく言われている - 神の罰ではないと言いました。病気が神の罰であるという考えを彼は嘘だと言い、あり得ない事だときっぱり否定しました。神は罰をお与えになりません!病気は間違った思考と行動の結果なのです。原因が取り除かれたら、結果も消え去る事でしょう、そしてこれが神の御心なのです。
「病気は神の罰だ、と人々が信じている、その様なものは存在しません。これは子供が親の家を離れてしまうのと同じです。両親はその子をもう保護する事も、守る事も出来なくなります。この様に、私たちも私達の父から離れてしまいました。私達は、ひたすら神の子である事を忘れてはいけません。神だけが私達を救う事ができるのです!そして、私達が再び神への道を見つけるならば、神は私達を助けて下さる事でしょう。」
自由意志
病気を信じるのか、健康を信じるのか、それを人は自分で決定します、
内なる討論
治癒の過程において痛みが出ると、それを、レーゲルング と考える事は、場合によっては簡単ではありません。多くの人々は自信がなくなります、「これはレーゲルングの痛みだろうか、それとも病気の症状だろうか?」ここで心の闘い、信じることへの闘いが始まります。これによって、人間が治癒を得られるか、または治癒への過程がどれだけ長引くかが決定されます。その人が何を、より強く信じるかにかかっています、病気であると信じるか、治癒される事を信じるか。彼が引き続き病気であると信じるなら、彼は病気を保持する事になります、しかし健康になる事を信じる困難さを乗り切ると、治癒へのプロセスが実行されます。人間が自分自身で決定しているのです。
誰も治癒を強いることはできません、人はそれを自由意志で決定します
この自由意志はブルーノ・グルーニングの教えの重要な項目の一つです。彼は、人間は他人が侵すことのできない、神が人間に与える最高の贈り物である自由意志を持っている、と繰り返し強調しました。彼は人間を、その人間のいる階段から、神の法則に自ら従う自由な子供の階段へと持ち上げます。この時、神はそれを強いる事は無く、それどころか、神の法則に違反できる自由さえも与えています。
ブルーノ・グルーニングは人間の自由意志を一番尊重しています。ですから彼は、助けてもらいたい人、病気を捨てる用意のある人だけを助けることができます。彼は、その人が自由意志によって差し出すものだけを受け取る事を許されています。病気の上に座っている人は、常に病気の事を考え、病気について話している人は、治癒が起こるのを無駄に待っている事になります。ブルーノ・グルーニングは次の様に言いました、「私は人が善の道を見つけられる様、助ける事を許されています、しかし、その道を進むかどうか、その人が決定する事の肩代わりも、善を選ぶ事を強制する事も許されていません。一人一人が自分の進む道を自分で見つけなければなりません。」
「レーゲルング」
体の洗浄が最初に痛みを引き起こすかもしれません
「レーゲルング」は洗浄過程の一部分です
何人かの人々には、 ハイルシュトローム を取り入れる際に痛みが出ます。この現象を、ブルーノ・グルーニングは、Regelung (レーゲルング)と名づけました。これは体の転換が始まる兆候です。レーゲルングはハイルシュトロームによって引き起こされ、病気の臓器が洗浄されている状態の表れです。クルト・トランプラー(治癒された人、一時的にブルーノ・グルーニングの協力者、ジャーナリスト兼作家)はこの事について書いています、「レーゲルングの痛みは救いを求める人々を大変混乱させます。レーゲルングの痛みはなくてはならないものです。」レーゲルングの痛みが出ると病気が再発したのでは、と人々は心配になり恐れを抱き、もっと悪くなってしまった、医者に行かなくては、と言う事でしょう。グルーニングは、「ですから私はレーゲルングの痛みが出たら、我慢するようにと言います。それは悪い事が起こっているのではなく、ひたすら人間が健康になる為のサインなのです。」
レーゲルングの形は実に様々です。痛みは病気の痛みと似ていたり、時にはもっと強くなったりします。しかし痛みが全く違った痛みとなる場合もあります。これはその都度違います、何故なら各自の体は治癒エネルギーに対し、個々に反応するからです。
レーゲルングの痛みを体験せずに済む事はありません。それは体の洗浄過程の一部分です、その時、精神の道において病気の痛みが体から取り除かれるのです。
レーゲルングの経過
ブルーノ・グルーニングはレーゲルングの現象を汚れた牛乳瓶を例にとって説明しました。彼は瓶の中の酸っぱくなった、腐った牛乳を新鮮な牛乳に入れ替えたい時は、どうしますか、と質問しました。答えは明確です。先ず悪くなった牛乳を捨てます、それから瓶をきれいにします。全く同じ事が人間の場合にも合てはまります。体を牛乳瓶に置き換えてみます、病気を悪くなった牛乳に、そして健康を新鮮な牛乳に、ですから人間は先ず、最初に頭の中から病気を捨てなくてはなりません - つまり悪くなった牛乳を捨てなくてはなりません。その後、体は病気という「汚れ」から洗浄されます - これがレーゲルングです。瓶がきれいになって初めて、新鮮な牛乳を入れることができます - つまり健康が人間の中に入ってきます。
他のイメージとして、グルーニングは人間を果物皿にも例えています。「果物が一杯入ったお皿を想像してください、何日も置きっぱなしになっていて、誰も気にとめず、誰もどう扱ってよいかわからないまま、果物は腐ってしまいました。あなた はこの果物を味わう事はできません。ここで誰かがやってきて、あなたに新鮮な果物をくれるとします、新鮮な果物をこの悪くなった果物の上に置くとしたら、それは大変馬鹿な行いです、何故ならこの新鮮な果物も腐った果物と同じ状態になってしまうからです。あなたが新鮮な果物を望んでいるならば、先ずは悪くなった、もう食べられない果物を捨てなくてはなりません、そればかりでなく、悪くなった果物を乗せていたお皿もきれいにしなくてはなりません、健康な果物を乗せるために。果物皿をあなたの体、果物をあなたの臓器と置き換えてみてください、そしてあなたが望む健康は、あなたが悪くなったものを捨てることができなければ、つまりこの場合、あなたがあなたの病気と取り組んでいる限りは不可能なのです。」
「アインシュテレン」
神のハイルシュトロームを取り込む為の体と心の正しい姿勢
ブルーノ・グルーニングの説明によると、ハイルシュトロームは精神お為のエネルギーであり、それが治癒に作用します。同様の意味で、彼は「治癒力の流れ」や「神の力」とも表現しています。しかし人間はどの様にして、 ハイルシュトローム を自分の中に取り込む事ができるのでしょうか、どの様に神の力に対して自分を開くのでしょう?ブルーノ・グルーニングは救いを求める人々に、次の様な姿勢で座る事をすすめています。椅子に座り、腕と足は組まず、手の平を上にして開き、ももの上に置きます。この姿勢と平行して大事なことは、全ての邪魔な思考を遮断して、体内に何がおこっているかに注意を向ける事です。信心に満ちて開かれた心の姿勢が基本条件です。このような方法により、人間は治癒力の流れ込む入り口を開ける事ができます。ブルーノ・グルーニングは言いました、「神は我々に全ての善を与えて下さいます、私達はただ神が送って下さる全てのものを自分達の中に取り込まなくてはなりません。さあ、これを行いましょう!」
何故姿勢が大事なのかについて、彼は次のように説明しました。「まだ自由に動かせる肉体を持っている人々は、その肉体をしばしば硬くさせてしまっています。これは魔力です、習慣の魔力です。足を組みます、もちろん一度くらい行儀悪くする事はできます、うなぎの様に長々と寝そべる事もできます、しかし彼が善を、神的なものを受信したい場合、これはいけません。何も持たない手で座るか、立つかでなければなりません!」
クルト・トランプラー(治癒された人、一時的にブルーノ・グルーニングの協力者、ジャーナリスト兼作家)は彼の著書、Die große Umkehr 「大回心」の中で書いています、「大事なのは・・・ 内面の心の準備と平行して、うわべの事と思い勝ちな、しかし大変基本的な外面の姿勢です。背中を何にも寄りかからせずに座り、足も手も組まないようにします。手どうしが触れ合うと、グルーニングの見解では、上半身の生命力の流れがショートして遮断されてしまいます。両足を触れさせるか、組むということは下半身にも同じ害が及ぶという事です。この誤りを習慣でしている人は時が立つにつれて、不愉快な病気を招くことにもなりかねません。」
体に内を感じるか、気を付けていて下さい
意識して力を取り入れる事をブルーノ・グルーニングは、Einstellen (アインシュテレン)と名づけました。人はハイルシュトロームを受け取る用意をします。いつ、どこで、行うかは重要ではありません。大事なのは、ただ、その人が平静であり、全ての邪魔な思考を遮断し、体内に何が起こるかを正確に観察する事です。ブルーノ・グルーニングは聴衆に、何を感じるかと常に尋ねていました。
「あなたはただ、ここで真の神の送信を受信するために、より良く言えば、獲得する為の準備をするだけです。どの様にあなたがこの送信を獲得するか、それは行ってみればわかるでしょう。しかし私が繰り返し言わなければならないのは、エネルギーを受信したら、あなたの体に本当に注意を払い、体内に何が起こるか、自分の周りよりもまず自分の体内に何が起こるかに注意することです。」
誰でもハイルシュトロームを自分の体に感じます、ある人はむず痒さを感じ、ある人は寒気や熱を感じたりします。ある人はどうしても自分の腕や脚が動いてしまい、ある人は体がガクガク震えたりします。この様に、ハイルシュトロームは、一人一人に異なった反応を引き起こします。