多重化学物質過敏症(MCS)からの治癒
I.ロッテス(68), バイロイト(ドイツ)
20年ほど前、居間の壁を塗装していると、酷い息切れを引き起こす気管支の収縮に気がつきました。症状はとても酷く、すぐに塗装を止め、塗装業者を雇わなければならないほどでした。問題がすぐに生じるため、塗装中、私は部屋に入れませんでした。この問題はその後、他の場合、例えば靴屋でも起きました。靴の購入は常に素早く行わなければなりませんでした。さもなければ、私は靴を買わずに店を出なければなりませんでした。靴を買った場合は履く前に、常に数日間は新鮮な空気にさらさなくてはなりませんでした。その後は通信販売で靴を買うことで、デパートの革製品売り場に行く事を回避しました。財布やハンドバッグが必要な時は、主には息切れでしたが、目の火照り、時には鼻血やめまいといった問題が、革製品に触れたり開けたりすると、すぐに生じました。
年を経るにつれ、例えばヘアスプレーや、庭の家具、窓枠、ドアを塗るためのペンキや防腐剤といった化学物質に反応が起きるようになりました。これらの作業中、頭痛と吐き気も同様に生じました。気分が非常に悪くなったので、すぐにペンキ店を出なければならなかったことを思い出します。カーペットや手芸用の接着剤といった、あらゆる種類の接着剤は、同様の問題を引き起こしました。
若い頃から絵を描くのを大きな喜びとしていたので、この作業を続けようとしましたが、私の体はペンキ臭にますます激しく反応したので、いつも中断するか他の人にまかせなくてはなりませんでした。
バイロイトにおける「エソテリック見本市」へ出かけた時、ブルーノ・グルーニング交友会のことを知りました。その数週間後、1999年3月にはバイロイト大学で行われたドクターインフォメーション講演会にも参加しました。
ドキュメンタリー映画の端役として-機械から出る霧は気になりませんでした
ブルーノ・グルーニングの教えの入門案内を受けた後、治癒力を定期的にアインシュテレンして取り込み、常にコミュニティー会合に参加しました。2003年まで、上述したあらゆる作業に関し、症状はますます酷くなりました。すぐに息切れするので、休暇の時でさえ、ペンキやニスに接触することができませんでした。したがって、問題なく生きるため、できるだけこれらすべての状況を避けました。
2008年の秋、新しいブルーノ・グルーニングのドキュメンタリー映画製作のため、ミュンヘンでエキストラが募集されました。私は、応募しなければという強い衝動がありました。友人と車で映画の撮影場所に行き、1950年代スタイルの衣装を着て、映画撮影が行われていた小さな映画館に座りました。できるだけ現実的に時代を描写するため、噴霧器がプロジェクターからの光線を見やすくするのに使われました。私はよりにもよって、この機械が設置してある列に座っていましたが、興味深いことに、この霧は全く私を悩ませませんでした。いつもなら、咳と吐き気の発作により、部屋を出なければならなかったからです。
多くの喜びをもって作業を再開
2009年の春、スーツケースを買うため、デパートの革製品売り場へ行きました。全く何の問題もなくいくつかのスーツケースを開いて、少なくとも30分間、その売り場にいたことに、家に帰ってから初めて気がつきました。この経験に励まされ、私は庭のベンチに木材用のニスを塗ることをすぐに決断しました。大きな喜びであったのは、そこから問題や徴候が全く起きなかったことです。ブラシ・クリーナーさえ、もはや全く何の反応も誘発しませんでした。今ではヘアスプレーも時々使いますし、非常に穏やかに店での靴探し、体への影響も無しに、デパートの革製品売り場を歩き回ることができます。
これら化学物質に対するすべての肉体的反応からの治癒を経験できたこと、そして再びとても楽しく作業ができることに、心より神とブルーノ・グルーニングに感謝します。