リンパ腫からの治癒
エーデルトラウト・カール(54) ドイツ、バイロイト
重荷
私は耳下腺に腫瘍がありました。その後の健康診断で非ホジキンリンパ腫(リンパ節癌)として知られている癌にかかっていることが明らかになりました。このために顔の左半分に痛みがありました。1993年2月に耳下腺を除去しました。さらなる検査で、すでに骨髄にまで広がっている治らない種類の癌である事が明らかになりました。この診断後、私はとても恐ろしくなりました。絶望的になり、重度の不眠症、そして躁鬱状態となりました。25の放射線療法を処方されました。これらは私に甚大な影響を与えました。髪の毛が抜け落ち、足と口に真菌感染症を患い、赤血球が減りました。とても疲れてエネルギーがなくなりました。これに加え傷が治るのに数ヶ月かかりました。1993年6月、後療センターに送られました。しかし著しい改善にはいたりませんでした。8月に別の癌の腫瘍が右の耳下腺にあると診断されました。10月に手術を受けましたがそれ以上の放射線療法は辞退しました。
1993年バイロイトで開かれたエソテリック・フェアでのブルーノ・グルーニングの精神の道における治癒についてのインフォメーション講演会に参加しました。講演会中、痛みを感じていました。後療センターで過ごした後、9月にブルーノ・グルーニング交友会の入門案内を受け、定期的に会合に出席し、自宅でもHeilstromを取り込みました。
治癒
1998年まで、腕の下から腹部まで、そけい部のリンパ節がずっと腫れた状態でした。これらの腫れは拳ほどの大きさで大変痛く青みがかった赤色をしていました。約4週間後、何の治療も無しに、それはなくなりました。4~6週間後、別の場所にまた現れました。私はこれらをRegelungだとみなすことができました。私はしばしば肝臓に痛みを感じ、腎臓にも問題がありました。1998年12月の健康診断では何の異常所見もありませんでした。
癌の完全なる治癒に至るまでの私の人生における、この変化の間に感じた私の感情を表現する言葉は見つかりません。私は死の淵にいましたが、今では再び元気で幸せになりました。私が頂いたお恵みを神に一生感謝します。
医師のコメント
カール婦人は高度悪性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫)と診断されました。耳下腺とそけい部への腫瘍の転移は外科的に取り除かれました。術後、耳下腺は放射線治療されました。カール夫人はそれ以上の放射線治療と抗がん剤治療を辞退しました。初めの診断で癌が骨髄にまで広がっていることが明らかとなりました。カール婦人は、ブルーノ・グルーニング交友会に1993年9月に入門しました。1998年の腹部のCTスキャンでは腫瘍の再発の兆候は見られませんでした。血球数は今日までの観察の間ずっと安定したままです。骨髄浸潤が退行していることを示しています。通常は非ホジキンリンパ腫のこのタイプの患者は診断後の生存期間は2年未満です。カール夫人が今日(9年後)完全に健康な状態でいられていることは医学的には説明がつきません。
医師 M.K.